父を殺した娘
今から20年以上前のこと、東京の小平市で、酒乱の父が母親に暴行するのを見かねた高校3年の娘が、酒ビンで父親を殴り殺すという事件があった。
その父親は、ひどいアル中で、酒を飲むと人が変わったように暴れ出し、母親を殴る蹴るだけでなく、部屋の中をメチャメチャにするまで暴れ回ったという。
一般の人には想像できないかもしれないが、重症のアルコール中毒患者は麻薬中毒患者の精神状態と少しも変わらない。禁断症状によって人格が変わる点も同じだ。
麻薬は所持しているだけで取り締まりの対象となるが、酒はどこでも手に入るから、むしろ始末が悪い。
オレの父親もふだんは偉大な文学者であり、やさしい父親だったが、晩年は酒を飲むとがらりと人が変わり、夜中でも大声で叫ぶ、刃物を研いで一家を皆殺しにすると言い出す、酒に酔ってドブに落ち、頭蓋骨骨折で救急車で運ばれるなど、一家は地獄だった。オレ自身、子供心に、オヤジを殺してやりたいと思ったこともあった。
そんな親でも、子どもが親を殺せば、大変な罪に問われる時期があった。1995年に法律が改正されるまで、刑法には尊属殺人に関する規定があり、親や祖父母を殺した者は、死刑または無期懲役のどちらかに処せられるしかなかった。少年法が適用されても、10年以上15年以下の懲役という重い刑に服さなければならなかったはずだ。
新聞でこの事件を知ったオレは、娘が少しでも軽い刑となるように、所轄の警察署長に嘆願書を書いた。国家は酒税という形で酒を買う人から税金を取り上げておきながら、アル中患者やその家族に対するケアを十分に施しているだろうか。
酒というものがこの世の中になければ、この父親はこんな形で殺されることもなく、娘も殺人者になることなどなかったに違いない。酒のために一家が破滅し、運命を狂わされてしまう者がいるのなら、その責任の一端を国家がになうことをせず、酒が原因で罪を犯すことになってしまった人を一方的に罰することは片手落ちではないのか。
警察に問い合わせたところでは、他からも嘆願が寄せられていて、警察としてもできるかぎり軽い罪となるように検察に申し送るとのことだった。
この女性が今どうしているかはわからない。刑期を終えて、すでに親の立場になっているかもしれない。もし、親となっていたなら、この世の中にたったひとりの父親を自らあやめてしまった罪の意味について、日々新たな思いを知らされていることだろう。
親も子も、大きな運命という歯車の中で生きていることに違いはない。運命に身を委ねることはたやすい。勇気を持ってその歯車をすこしでも正しい方向に導いていくことが、生きている者の使命なのだ。
運命の歯車は、時に残酷である。
ミッチャンのエセエッセー by 竹下光彦
(C) 2008 by Mitsuhiko Takeshita