「感動」というメニューのある店

 先日、取引先と会合する目的で、JR目黒駅の上にあるレストランに入った。約束より30分も前に着いたので、飲み物でも飲みながら待つことにした。
 夕食時で店内は混んではいるが、満席という状態ではない。ところが、いくら待っても席に案内してくれない。ある一角には明らかにぽっかり空席がある。予約席でもないのにおかしな話だ。
 そこで、ウェイトレスに、あそこの空いている席にすぐすわらせてくれと頼んだ。ところが、「あちらのお席にはご案内できません」というばかりで、その理由を教えてくれない。
 理由も言わずに、空いている席に案内しないとは失礼な話だ。そう思って再度すぐにその席に座らせろと言ったところ、こんな答えが返ってきた。
 「実はあちらの席は、ちょっとお話声が大きい方がいらして、ほかのお客さまをご案内できないのです」
 話し声が大きいのはお互い様だからかまわない。相手がヤクザだろうが、ヤクシャだろうが気にしない。うるさいからほかに移動させろなどと絶対文句を言わないからと告げると、ようやくその席に案内してくれた。
 周囲にお客のいないエリアのまん中に、ひとりの中年女性が座って食事をしている。服装や持ち物を見る限り、ふつうのOLといった感じ。きちんと化粧もしている。オレの席はそのすぐ隣り。すわって見るともなくその女性を観察したら、店の人が案内しない理由がすぐわかった。
 彼女は食事をしながらひとりでぶつぶつ何かをしゃべっている。ときどきやや大きな声で、「桜田門、開放!」などとわけのわからないことを口走る。
 明らかに統合失調症、つまり精神分裂症の患者だ。この病気について知らない人にとっては、気味が悪いことは間違いない。しかし、他人に危害を加えるようなことはないはずだ。
 飲み物を飲みながら、しばらくそれとなく様子をうかがっていたら、食事を終えたあと、ちゃんとお金を支払って帰って行った。
 その後、店長らしき男性がやってきて、たいへん迷惑をかけましたというから、オレはこう言った。
 「いや、とんでもない。今日はとてもうれしい思いをしました。ふつうなら、ああいう病気の人を門前払いして店に入れない所が多いのに、一般のお客と同じように大切に扱うこのお店の心の広さに感動しました。」
 かの女性は、この店の常連で、ぶつぶつしゃべる以外には何の問題もないとのこと。注文も支払いにもきちんとしてくれるので、普通のお客として対応しているという。
 そうはいっても、精神障碍者をこれほど寛大に受け入れる店がほかにどれだけあるだろうか。普通のお客に対してすら、食事中はしゃべるなという掲示をしてある店があるくらいだ。
 精神障害者や知的障碍者は、社会から隔離すればするほど、社会への適応能力を失っていく。できる限り普通に対応することにより、彼らにも社会参加への機会ができてくる。
 レストランはお客に食べ物を出すことだけがすべてではない。お客に満足を与え、楽しませることが売り物であるはず。そしてそのサービス精神がこのように感動的なら、固定客がどんどんふえるに違いない。
 その日一日、オレは心を温められた思いを持ちながら過ごすことができた。

レストランは、メシを食わせるだけがすべてではない

(C) 2006 by Mitsuhiko Takeshita

ミッチャンのエセエッセー                        by 竹下光彦