勇気とは
2001年1月26日、JR新大久保駅のホームで、線路に転落した日本人男性を救おうとして線路に飛び降りたふたりの男性が、進入してきた電車とホームに挟まれて即死してしまった。
ひとりは、カメラマンの関根史郎さん。もうひとりは韓国人留学生の李秀賢(イ・スヒョン)さんだった。他人の命を救おうとして、自らの命を落としてしまった、痛ましい事故だった。ふたりの勇気ある行動を忘れないために、新大久保駅の壁には追悼のパネルが設置されている。
そのパネルを見て、この事故のことを思い出すたびに、勇気とは何かについて思いを新たにさせられる。
大学生のころ、オレは井の頭線の浜田山駅から近いところに、病身の母とふたりで暮らしていた。
ある晩、親友と酒を飲み、ふたりで歩いて帰る途中のこと。線路の反対側から歩いてきたふたり組の男と踏切ですれ違ったとき、ひとりの男が肩にぶつかったとかでインネンをつけ、いきなり友人に殴りかかってきた。
友人はいきなり殴られたので、踏切の線路上に倒れてしまった。もうひとりの男はオレにも向かってきた。
相手はふたりでこちらもふたり。相手も酔っている様子だから、互角に戦えるはずだ。しかしその時オレの頭をよぎったのは、母の顔だった。踏切の上で乱闘になったら、電車に跳ねられてしまうかもしれない。
親子ふたりの貧乏生活。病弱で入退院を繰り返す母をおいて死ぬわけにはいかない。とっさにオレはきびすを返し、近くの公衆電話に駆け込んで警察を呼んだ。
高井戸警察署のパトカーが飛んできて、相手方はすぐ捕まった。友人の家の近くに住むガラス屋の息子とその友だちだった。オレの友人のケガは幸い軽いものだった。
暴力行為の現行犯で捕まった相手方は刑事処分を受けただけでなく、それなりの補償を支払ったというから、結果的にはオレの行動はよかったことになる。
しかし、人間として、友人として、オレの行動は正しかったのだろうか。オレは友人をおいて逃げたのではないだろうか。たとえ身に迫った危険があろうと、オレは友人と一緒に戦うべきではなかったのだろうか。オレは卑怯者だったのではないだろうか。結果がよければよいというものなのだろうか。今でもその時のことを思い出して忸怩(じくじ)たる思いにかられる。
李さんのご両親にとって、彼はたったひとりの息子だった。その息子が異国の地で見ず知らずの外国人のために命を落とすとは痛恨の極みだろう。
李さんも関根さんも、ホームを落ちた人を見た瞬間に、自分の立場を考えることもなく、とっさに飛び降りたことは間違いない。何かを考えたら、行動できなかっただろう。勇気とはそういうものだ。いっさいの計算や自分の宿命すらかえりみない行動こそ、真実の勇気なのではないだろうか。
『李秀賢さん あなたの勇気を忘れない』(日新報道)の著者、佐桑徹氏は、「日韓の架け橋になりたい」と願った李さんの遺志とご両親の思いを伝えるため、印税の全額を奨学会に寄付されている。
何かを考えた瞬間、勇気は勇気でなくなる
(C) 2007 by Mitsuhiko Takeshita